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大学時代から開業後
歯科大学に通っていた兄が病気を患い大学をやめることになりました。どうにかしなければならないという気持ちもあって歯科医師になる決心をしました。
福岡歯科大学に入学し、相変わらず音楽がすきで、ジャズ研究部にはいるのですが、歯科医師は体力勝負。兄のこともあったので、体を鍛えなければいけないと思って大学から海まで、20分ぐらいでいける自然環境を生かしたサーフィンにはまっていました。友達がワイプアウトした時サーフボードの先端が歯に当たり折れてしまいました。
歯を入れるのに何が一番いいか同級生と話し合いました。残念ながら、その頃、ブリッジ、一本義歯が主流でした。インプラントと言えば、「こういうめずらしい方法もありますよ。」と授業でほんの少し説明される程度で世間ではほとんど認知されていませんでした。
大学在学中に父が脳梗塞でたおれ経済的に苦しい状態でしたが、何とか大学も卒業し大阪に帰ってきました。もちろん、家には借金もあったので、勤務医時代はそこそこに開業しました。父が開業していた診療所をリフォームし、これからは父を慕って来院された患者さまの期待を裏切らないようにしようとがむしゃらに頑張って診療していました。亡き父が自分で配列し作った入れ歯を目にして、父の腕のよさに胸をうたれました。少しでも父に近づけるように努力しました。
インプラントは暗中模索の時代でほんの一部の臨床家が、あれやこれやと試している時代で、当時親しくしていた同窓生の朝倉勉先生や、坂井英明先生と一緒に京セラ(現在のJMM)のサファイアインプラントの講習会の講師をしていてインプラント臨床家である西浜直樹先生の紹介で臨床歯科インプラント協会のメンバーに入れてもらいました。そこでは、アメリカ製のブレードインプラントや、フランス製のシェルシェブインプラントなど多種多様なインプラントの事を学びました。その頃埋入したインプラントが現在も機能している患者さまが来院されたときはこの上ないよろこびです。

亡くなった父の写真です。 DNAとはおそろしいです。 |